報・連・相とか面倒なだけと思っていましたが【仕事において共有しなくていい情報はない】

私はひねくれた性格をしているので、世の中で正しいとされていることを受け入れることが少なく、いつも独自のやり方を模索しています。そんな私が嫌いだったのが「報・連・相」で、もちろん報告も連絡も相談も大事なことはわかっていますが、どうしても苦手でした。

そもそも「報・連・相」が必要になる状態がよろしくない。仕事を受けたら、正しく解釈して、期待される以上の成果を出せば「報・連・相」なんてなくてもいいわけです。「報・連・相」はミスをする人のためのまどろっ働き方なわけです。

かつて「ザ・ゴール」というボトルネックを見つけるための手法が書かれた小説が話題になりましたが、あれも私には意味がわかりませんでした。手法は確かに合っています。でもボトルネックなんてそんな手法を使わなくても目の前で起きていることからすぐにわかるわけです。

別に自分が賢いなんてことを言いたいわけではなく、仕事をする上で誰でもできることだと思っています。学生時代の私は決して勉強ができる生徒でもなく、成績も平均的でしたし、飛び抜けた才能があったわけでもありません。

凡人の私ができているのですから、そんなまどろっこしいことはせずに働けば、もっと仕事の効率が上がると思っていたんです。でも、実際には「報・連・相」が必要な現場もあることを実感しており、情報共有の重要性を強く感じています。

私は基本的に情報を自分のところで止めることはしません。アルプス技研に入社したときに「ビジネス10か条」というものを暗唱させられたのですが、その中に「情報は、活用してこそ役に立つ。しまっておかずにすぐ流せ。情報の流れが、組織の活力を生む。」というものがあります。

三つ子の魂百までと言いますが、私は社会人になって最初にこれらを学んだので、とにかく情報共有することgがあたり前だと思って働いてきました。でも世の中の人が全員そういうわけではなく、むしろ情報をコントロールしたがる人もいます。

「あえて言わない」人や「自分で抱え込んでしまう」人もいる。そういう人たちは、そういう文化で働いてきたのですから、私が「情報共有して欲しい」と言ってもまったく響きません。そういう職場だと「報・連・相が大事」という言葉に重みが出てきます。

情報共有がなされている職場だと「報・連・相」なんて必要ないんです。不思議なもので私がこれまで働いてきたすべての職場で情報共有がしっかりとされてきました。エンジニア系の職場だったというのも影響しているのかもしれません。そういう職場は間違った情報伝達が大きな損失を生むことになるので。

断言しますが、どんな職場においても、どんな人間関係においても情報共有しなくていいことなんてひとつもありません。人生において情報共有しなくていいのは、墓場まで持っていかなくてはいけないことだけで、他は完全にオープンにすべきです。良いことも悪いことも。

自分だけが情報を握っている状態が許されるのは、すべてを自分で解決できる人だけです。もっとも、それは私の極論なので無理に情報共有なんてしなくてもいいんです。ただ、騙されたと思って情報の流れを止めるのをやめてみてください。思った以上に仕事が上手く流れるようになるので。

失敗や上手くいっていないことを隠したりしない。情報をコントロールしようとしない。隠しごとは限りなくゼロに近づけてみてください。それで何かを失うことなんてありませんから安心してください。仮に失ったとしても、それは失ってもいいものです。人として大切なものはきちんと手元に残りますから。

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