文字を重ねる【読まれる記事ばかり書けるわけではないけれど】

私にとって文書を書くというのは日常であり、日常から離れる行為でもあります。社会を離れて完全なる個になる行為ともいえます。文章を書いているときは、自分だけがまったく違う空間に存在するような感じがあり、その時だけはどんな嫌なことも忘れられます。

もっとも、人生で耐えられないような嫌なことなんていくつもあるわけもなく、辛いことから逃げるために文章を書いたというような経験は1度もありません。辛いことから距離を取るためにランニングをしたことは何度かあります。

辛いことがあったときに、ランニングをすると走り終えたときにすっきりしますが、ライティングを終えても元の状態に戻るだけ。書いている瞬間だけ世界からすっぽりと切り離されているだけで、書いたことで何かが改善されることもありません。

ライティングを主体的にすることもありません。基本的にはやらなくてはいけないからやっています。請けている仕事はもちろんですが、このブログもRUNNING STREET 365の記事も必要だからやっているのであって、義務感でやっているところもあります。

先日の北海道マラソンのレポートのように、衝動的に書くことはあります。ただ、これは1年に1回あるかどうか。私は何度もバズる記事を書いていますが、それはいずれも対象があってのこと。目の前に何かが起こっていて、本能的にそれを伝えなきゃと感じて文書にします。

何かが起これば読まれる文章を書けます。でも、何も起こらなければ拡散されるような文章は書けません。小説家のようにゼロを1にすることができないわけです。だから365日のうち364日は、あまり読まれることのない平凡な文章を書いています。

じゃあ何かが起きたときだけ文章を書けばいいじゃないかと思うかもしれませんが、そういうわけにもいきません。まず文章は書き続けないとライティング力が落ちてしまいます。ランニングや筋トレと同じです。1日のために364日トレーニングします。

もうひとつの理由としては、記事のストックがないとバズらないということ。たとえば北海道マラソンの記事を立ち上げたばかりのブログに上げてもバズることはありません。RUNNING STREET 365に数千のランニングに関する記事があるからバズります。

勘違いしないで欲しいのですが、バズらせたいわけではありません。バズるコツを伝えたいわけでもありません。ただ、魂を込めた記事を多くの人に読んでもらえるのは気持ちがいいもので、物書きを目指す人にはぜひ体験してもらいたいだけ。

その体験をするにはいい文章があるというだけでは不足で、どこに書くのかということも大事という話。別に書く場所を自分で用意する必要はありません。大手メディアに書く場所があるなら、そこに書いたほうが多くの人の目に触れます。

でも、その文章は大手メディアのものになります。あと、さまざまな忖度が必要になり、「てにをは」レベルの理不尽かつどうでもいい修正要求も起きます。それは書くという行為に対する大いなる冒涜であり、書くことが苦しみになります。

だから私は自分のプラットフォームを持つわけです。好きに書きたい。好きに表現したい。この世界と切り離された空間で満たされる時間が欲しい。そのためにまた今日も文字を重ねていくわけです。ただただ自分の欲を満たすために。

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