伊豆高原の仕事がスタートして、毎日やることがいくつもあり、きっと5ヶ月なんてあっという間なんだろうなと感じています。まだ引き継ぎなので労働時間が安定しませんが、どうせ起きていれば仕事をしているわけです。
どんな仕事をしているかはその日によりますが、起きていて仕事をしていない時は、走っているか食事をしているかくらい。たまに誰かと飲むことはありますが、日常生活の中で1日16時間は働くくらいの感覚でいます(実際に何時間働いているかは知りません)。
そう書くと働きすぎと思われるかもしれませんが、働きすぎがなぜ悪いのか私にはわかりません。たとえば1日16時間映画を見たり、漫画を読んだりしても法律で罪に問われることはありません。なぜ仕事だけ1日8時間、1週間で40時間という規制があるのか。
働きすぎは過労死につながると言われていますが、それは「雇われている場合」に限るんじゃないでしょうか。私も北海道時代の最初の1ヶ月が300時間でした。これにライティングも加わるので、もっと働いていることになります。
そのときは精神的にもきつく、ミスも連発していました。でも、それが自分の仕事となると400時間以上働くことも珍しくありません。ところが心が壊れることもなく、疲労でミスすることもありません。雇われるのと自分で働くのは根本的に「働く」の意味が違います。
今も雇われているようなものですが、基本的には決まった仕事があって、そこからプラスアルファは自分で考えて動きます。窓が汚れていたら洗いますし、雑草が気になったら草刈りをする。別に誰にやってと言われるわけではありません。
なので働き方は個人で仕事をしているのとそれほど変わりません。こうなると起きている時間は全部仕事でもまったく問題ありません。ただ会社員の人だとそれを理解するのは難しいかもしれません。会社員にとって仕事は時間を捧げるもの。悪い言い方をすると時間の切り売りをしています。
だから仕事とそうでないものが明確に線引されます。さらに仕事は稼ぐものであり、そうでないものはお金を消費するものという考え方もできます。フリーランスにとって、いや私にとって仕事とそうでないものをわける明確な線は存在しません。
たとえばマラソン大会を走ることは、個人的な楽しみであるだけでなく仕事でもあります。走った大会はレポートを書きますが、これが私の収入源のひとつになります。1つのレポートだけで稼げる金額はわずか。でもその積み重ねが信頼を生み、サイトの価値を上げていきます。
お金を使うのも仕事のため。私はこの1年でかなり衣類を購入しましたが、それは仕事で着るためです。北海道では飲食店ですので黒色の服を揃えて、伊豆高原では清潔感のある服を購入しました。他にも基本的にお金をかけるのは仕事のためです。
会社員にしてみればまったく意味がわからないかもしれません。でもそういう世界が意外とすぐ近くにあります。将来の見通しはゼロだけど、自分のやりたいことだけをする働き方。でも労働時間なんていう概念はなく、ただ起きているときはずっと働いている。
それなら1ヶ月160時間働いて、月給をもらえるほうがいい。そういうスタンスを否定するつもりはありません。ただ、いつでもそっちに戻れるわけで、一生のうち1年くらいはこっち側を味わってみたらいいのになとは思います。引き返せなくて困っても責任は取りませんが。