美味しかったと言ってもらえる喜びと経験することの大切さ

数日前から宿の朝食を作っています。これまでは友人が休みたいときだけのヘルプでしたが、これからは来年の1月末まで私がメインで受け持つことになりそうなので、「無難にこなす」から「喜んでもらおう」にスタンスが変わりました。

もっとも今だって代役ではあるのですが、立場が変わったことで「美味しいものを提供したい」の気持ちが強くなっています。とはいえ作っているものはこれまでと変わらず。でも「どうすれば美味しく作れるのか」はずっと考えています。

ただ、その答えはすでに北海道で学んでいました。一流ホテルの総料理長だった人の調理を目の前で見て、しかも何度もごちそうになっていたわけで、その経験が美味しく作るというのはどういうことなのかという問いに対する答えに導いてくれました。

北海道に行くまでは、いい材料を使えば美味しく仕上がるものと思っていました。それはひとつの事実なのですが、いい材料を使えば料理の原価が上がります。そうなると売値も上がって売れなくなります。だから、手頃な値段になるように冷凍食材も使いますし、安い調味料も使うわけです。

それでも料理人は「美味しい」を実現します。これが料理人と一般人の大きな違いなんだということを、北海道での経験を経て学びました。そのために大事なのが下ごしらえで、それも北海道で何度も見てきましたし、実際に厨房に入って教わったこともあります。

ひと手間を惜しまないこと。いま私がやっているのはこれ。どんな料理にもひと手間をかける工程があり、それがなくても料理としては成立します。でも、それを省くとお客さんの「美味しかった」には繋がりません。

1番悲しいのは、大量に残されてしまうこと。もちろんすべての人が完食してくれるかというとそうでもなく、人によっては野菜が嫌いなんてこともあり、その場合にサラダが残るのは仕方ありません。でも美味しくなくて残るのは残念な気持ちになります。

面白いものでちゃんとわかるんですよね、なぜ残されてしまったのか。自分が食いしん坊だからなのかもしれませんが。ひと手間を加えたものは全部食べてもらえるのに、そうでないものは残される。でもそうでないものだってひと手間を加えれば食べてもらえる。

北海道では「料理は数学だ」とも教わりました。きちんと方程式に従って手順通りに作れば美味しくなる。だからレシピが大事だし、ひと手間を省かないことが大事。問題は手間を掛ければ時間がかかり、大人数をさばけないということ。

もし自分にできたとしても、他の人ができないのでは困ります。ここがこれからの課題ですね。もっともこれに関してはまだまだ時間がありますし、慌てることでもありません。少なくともこれまでのやり方はすでに共有しているわけですから。

まずはコストをかけずにお客さんの「美味しかった」を引き出すために何をすべきかを考える。そしてできるだけ負担をかけずにひと手間加える方法を考える。こういう作業は好きなので、いろいろトライしていこうと思います。

それにしてもここ最近の仕事は見事に数珠繫ぎで、前の仕事の経験が次の仕事の経験に活かされていて、まるで仕組まれた人生を生きているようです。そう思うと北海道での仕事も悪くなかったかなと。辞め方がきれいではなかったので、もう戻ることはありませんが。

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