見て学ぶということ、目で盗むということ【言葉だけでは伝わらないこと】

北海道での5ヶ月を経て、明らかに料理の腕が上がりました。そもそも下手なわけでもなく、何だったら外で食べるよりも自分で作ったほうが美味しいと自惚れるくらいにほんの少しだけ料理には自信がありました。もちろん、自己満足の話です。

料理は間違いなく、それを仕事にしている人の方が上手で、私なんかはただの食いしん坊の素人。でも調理するのは好きですし、下手ではないつもりでした。でも、北海道での5ヶ月は、それなりだった私の料理の腕をワンランク上げてくれました。

別にキッチンに立って指導を受けたわけではありません。人手不足の日に、仕込みの手伝いはしましたが、あんこを混ぜるくらいのことしかしてません。ではなぜ腕が上がったかというと、腕のいい人たちが調理する姿をずっと見てきたから。

あとは、北海道に行くまでは冷凍食品に良いイメージを持っていませんでしたが、料理人はそれを美味しく仕上げるわけです。冷凍食品が悪いんじゃなくて、それを上手く扱えてなかっただけのこと。冷凍食品だって正しく使えば美味しく仕上がるわけです。

冷凍食品も戻し方ひとつで美味しさがまったく違います。それもキッチンでの仕込みを見てきたからわかったことで、一緒に仕事をすることで、むしろ冷凍させるから作れるものがあることも学びました。安くて美味しいものを作るのに冷凍食材を使うのは避けられないことも。

常に原価を考えるということも北海道で学んだことです。美味しい料理を作るのに、調味料をケチってはいけないというのが私の考え方ですが、かといって無制限に良いものを使ったり、たっぷり使ったりするのはNG。自宅とは違い予算があるわけですから。

そういうことを刷り込みのように学んだのが北海道での5ヶ月間でした。何かを直接教わったわけではなくても、一流の料理人と過ごすことで、学べることはいくらでもあり、それを自分のものにすることで、ワンランク上へと辿り着けるわけです。

職人の世界では技術を目で盗むなんてことを言いますが、それについて効率が悪いとか、教える技術がないとかいろいろ言う人がいます。確かにきちんと手順を追って教えることができるのが理想。でも、基本だけ学んでも本物にはなれません。

立ち姿とか、集中の仕方、緊張感など言葉ではどうしたって伝わらないことがあります。それは説明が下手とか難しいとかではなく、学ぶ人間のセンスや教養、人生経験などにより理解度が異なるためです。むしろ感覚的な部分は言葉にすると陳腐になりがちです。

そんなものがなくても料理は作れる。それは事実です。立ち姿が美しくなくても料理は作れます。でも神は細部に宿るんです。立ち姿が美しい人とそうでない人の料理は、仕上がりが違ってきます(絶対にとは言いませんが)。そしてその違いは目で盗むしかありません。

私が宿で最初にやったのはキッチンの清掃でした。掃除が行き届いていることで人気の宿でしたが、キッチンまでは手が回っておらず、一見するときれいでも私としては気になる汚れがあって、それを徹底して落とすことから始めたわけです。

それも北海道で盗んできたことのひとつ。そういうのは北海道に行ってなかったら気づかなかったこと。でも、これも「キッチンをきれいに保ちましょう」と言葉にしたら本質が抜け落ちてしまいます。その本質ごと盗んで自分のものにして実行する。目で盗むというのは「教わる」とはまた違った学びがあります。

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