毎日に働くことがあたり前になると仕事が頑張るものではなくなる

1ヶ月ぶりに自宅に向かっています。今回は2日続けての休館日ということで、いつもよりも余裕があり、久しぶりにラン仲間と都内で走る予定です。もっともメインは走ったあとにあるわけですが、どこを走ろうかといろいろ思案中。

もちろんそれ以外の時間は仕事です。せっかくの休みなのに仕事をするって……と思う人もいるかもしれませんが、フリーランスというのは働くことが生活の一部になります(私だけかもしれませんが)。毎日歯を磨くのと同じレベル、もしくはそれ以上に働くこと生活が密接しています。

そのレベルになると「仕事を頑張ろう」という感覚は無くなります。歯磨きを頑張る人がいないのと同じですね。当たり前のようにそこにあって、呼吸をするように働くわけです。なぜそんなに働くのか?という質問は愚問。なぜ生きるのかと同じくらい意味のない質問です。

こうなってしまうと、誰かと一緒に働くのが難しくなります。仕事との向き合い方が全く違うので、相手にプレッシャーを与えてしまいます。私は四六時中仕事なわけで、相手は1日8時間労働を基本としていた場合、どうしたって「自分もやらなきゃ」になってしまいます。

言うまでもないのですが、私はそんなことを周りに求めるつもりはありません。でも、存在そのものがプレッシャーになるわけです。私のような働き方ができるのは、きっと特殊なタイプの人間です。真似しようとしてもできるものではありません。

無理をすれば「休みたい」という気持ちが大きくなります。ストレスになっているから当然ですね。私にはこの「休みたい」という気持ちはありません。「寝たい」はありますけど、仕事を離れたいという感覚になることはほぼありません。

それはずっと好きなこと、やりたいことをやっているからです。そして、何かをやらされることもありません。いつだって自分の行動を決めるのは自分。好きでやっていることですから、ストレスにはならないわけです。人間ですから眠くはなりますが。

ただすべての人が、そのように働けるわけではないことも事実。だから「休みたい」を尊重しなくてはいけませんし、「楽したい」という感覚も否定しないように心掛けています。共感できなくても、そういう人もいるのだと受け入れることが大切です。

とはいえ、やはりわからない部分もあります。なぜ、休みが欲しくなるような働き方をするのだろうと不思議に思います。私は会社員時代も、休みなく働いても問題ないタイプでした。その頃から仕事を大変なことだと思っていなかったのかもしれません。

むしろ会社員時代は休日の疲れを癒しに会社に行っているようなところもあったかもしれません。休日の予定がずっと埋まっていて、マラソン大会に行ったり、友だちと遊んだりして、とにかくアクティブに動いていたので、会社はゆっくりできるところという感覚。

仕事をするというのは、私に取っては整える効果もあるのかもしれません。働くことがニュートラルな状態で、自分にとってベストな状態。それを仕事人間といって嫌う人もいるかもしれませんが、好きなことをやっているわけで、ある意味「遊び人間」でもあります。

実際のところは、遊びも仕事も境界線がないので私にとっては同じ意味なのですが。みんなもっと好きなことだけやればいいのにと思うことは多々あります。ただ、そのやりたいことが消費ではなく生産でないと仕事にはならないのですが、その話はまたどこかでするとしましょう。

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